マルコ商会の歩み

(1)明治時代:マルコビール醸造所の操業<クラフトビールの先駆事業>

第9代 田中恒固は、元越中藩士で、維新後、日本橋小網町、通称「酢屋」に養子した兄、田中長蔵を頼って江戸に出ました。その後、(春日部)赤沼村、田中家へ入婿し、長蔵の長男、良助が、アメリカの商科大学に留学中、同国からの書簡(春日部市郷土資料館へ提供)で、麦酒の高い市場性に着目し、当地産品の麦を加工するビールの醸造を始めました。

販売は、日本橋の長蔵の店他、有力取次店が担い、東京・横浜方面へ馬力で出荷しました。


商標の「交差セル軍刀の図」は、自身が士族出身で、舶来品であることがモチーフになっていると伝わっています。

当時の日本麦酒(株)馬越恭平氏(のちに「東洋のビール王」とよばれる)からの会社合同を断りましたが、明治34年のビール税の導入等により事業の継続が困難となり廃業しました。

平成28年春日部市発行 「新編 図録 春日部の歴史」
第4章第1節第5項農産物と工業製品P154,155の一部抜粋

明治時代のマルコ商会 ビール醸造所之図
「商工必覧」(明治22年発行)より(弊社所蔵)

MARUKO BEER 明治創業期のビールラベル

当時のビール樽(弊社所蔵)

登録商標 第2051号 明治21年に出願及び登録された「交叉セル軍刀ノ図」

(2)昭和時代:マルコ農園の経営

第11代 田中一雄は、都立園芸学校を卒業後、果樹園の運営に携わり、昭和天皇の埼玉行幸時(昭和9年)に、「梨」を献上しました。戦後も、20世紀梨・治郎柿の栽培に精励し、日本橋の三越百貨店に出荷していました。

昭和時代のマルコ農園のラベル

埼玉県知事からの記念状(マルコ農園の梨が天覧品となりました)

(3)平成・令和時代:マルコ商会 再設立

その後、国道4号バイパスと国道16号線の交差する当地のロケーションを生かし、埼玉東部地区における物流拠点の重層化の一翼を担うべく、貸倉庫・貸駐車場等の運営を担って参りました。
これからも、地域社会の活性化(地域特産品の販売等)に向けた活動に取り組んで参ります。

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<クラフトビール> 

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